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最終回「おいしい、ということ」/もくれん村上さんと珈琲の話をしよう。

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最終回「おいしい、ということ」/もくれん村上さんと珈琲の話をしよう。

――店で焙煎された珈琲豆を購入して、自宅で淹れる人も多いと思うのですが、同じ深煎りでも店によって違います。

 

村上(以下、省略)

好みってありますよね。好みってあると面白いけど、おいしいものとおいしくないものがある人は大変だなって。

最近、お客さんとの話にも出るんですけど「おいしいものしか食べられない人って大変だよね」と。「おいしくないものは食べることができない」ということでしょう? 自分の口に合わないという事実をどのように捉えるかというのは大事だよね、という話は出ます。

逆に自分にとって「これがおいしい」と決まっている人は、それを探せるというのは羨ましいし、そういう意味では「おいしい」という表現は面白いなと思います。

珈琲豆でも「これ合わないな」と思っていても、昔の喫茶店だと、珈琲の粉に水をかけたりするらしいです。お湯と違って水は抽出量が少ない。お湯だと中の成分が溶け出すから抽出されますが、水だと温度が極端に低くて、抽出される成分の量が少ないために、味が出にくい。そういう方法で淹れた方がおいしい場合もあるので、今日の味は合わないなと感じたら、水を垂らしておいてドリップすると味が良くなる。そういうメソッドはあります。

 

――そういう意味では、常に平均点、ましてや100点満点を出すのは難しいですよね。

お店の珈琲は100点が満点かもしれません。でも珈琲豆を買って来て自宅で淹れた時は、1000点が満点の時もあるというように、別の部分で評価基準があると思います。

例えば「これが100点の味だ」と感じた時に、「自分の好みって、もうちょっと酸味がたっていて、すっきりしているのが好みだよなー」と感じた時、そう感じた時は100点を超えていて、たぶん200点満点になっている。だから自分好みの味を再現できたら、お店で飲むよりもおいしいはずです。

「珈琲を自宅で淹れる時の方法を教えてください」とお客さんに質問された時に目の前で実演した時のことです。その後、お客さんが自宅で試したら格段においしくなったと喜んでくれました。そこで「それはウチの店で飲んだ時よりおいしくなかったですか?」と聞いたら、「そうなんですよ! でもそれって、お店が存在する意義ってあるんですか?」といわれました。

――どう、返答したんですか?

「それはすごくいいことだと思います」と。お店を経営している者としては、販売するのが目的です。自分の店の豆を買ってもらうのが目的ですが、自分は売り手でもあるし作り手でもあるので、そういってもらえるのは面白いですよね。売れたら面白い自分もいるし、おいしいと思ってくれたら面白い自分もいる。

たまには違う味の珈琲を飲みたいと思えば、お店で珈琲を飲むだろうし、マスターや常連のお客さんと話したい時もそう。それがお店の存在意義だと思います。その延長線上に、飲む人が感じる味というのは、その人のもう1人の自分に出会うきっかけになっているような気がします。

社会生活の中で培われてきた感想や習慣、もともと人それぞれが持っている習慣は違うと思いますが、その部分でおいしいと思うことと、一般的においしいと表現されているものは、同じ人もいれば、違う人もいる。そこのところで、無理やり満足しなくてもいいと思うためのきっかけになるのがお店だと思うんです。

――味だけではなく、こうしてマスターとお話をして、それも含めて街の喫茶店であり、空気感ですよね。では最後に、これからの目標などあれば教えてください。

内面ってどんどん変わります。変化した場所に行き、その変化に基づいた行動をすることの繰り返しをずっと行っているのが人生。だから、自然がいいなと思っていて。

先々の展望ではないですけど、その時に思っていることをやっていけたらいい。今でもやっているつもりですが、将来的にはそれが細分化しているかなと思います。


普通にいけたら、普通に。

親にもいわれましたし、普通に(笑)。

 
(この連載は今回で終了です。最後までお読みいただきありがとうございました)