太地町出身でニューヨークを拠点に活動中の書画家・田中太山さんが、渡航10年を記念した展示会を2025年7月に太地町立石垣記念館で開催しました。田中さんとは和歌山タウン情報アガサス時代の2010年に書画集『ぬくもり』を出版したご縁。今回は展示会前日にお邪魔して近況をうかがいました。久しぶりの太山節、とくと堪能してください!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
――お久しぶりです。最後にメッセージをやり取りしたのが渡航前の2014年でした。
田中太山(以下、太山) マジですか! そんな前なんや!
――動向はInstagramでチェックしていますが、ニューヨークではどんな活動をしているんですか?
太山
当初は作品づくりに没頭しようと思っていましたが、やってるうちにどうやらアメリカ人は書画教室を求めていることに気づきました。
で、最初は子ども向けの書道教室から始めました。その後、大人向けに墨絵教室を開校しました。これはペインティングのようなアートのクラスみたいなものです。仕事終わりに友だちと通ってくれたり、デートで来てくれたりとか、そういう受講の人が多いですね。墨絵教室は結構ごひいきいただいていて、ニューヨークではやはり教える方なんやなと確信しました。
子どもを対象にしたオンライン教室も人気です。元々ニューヨーク在住の子どもたちが、COVID-19の影響でいろんな州に転出したり、日本に帰国しちゃったりしたんですよ。それで「何とかオンラインでできませんか?」と相談されて始めました。親はやっぱり遠く離れても、子どもに経験させたいみたい。あとは純粋に大作書道パフォーマンスを見たいという要望が多いです。
――海外の方に書道を教えていて、感じることはありますか?
太山
うちに来るということは、皆さん日本文化に興味があるんですよ。なので、取っ掛かりとしては自分の名前を日本語で書いてみることから始めます。笑文字(えもじ)は漢字を使うことが多いですが、書道の授業に関しては100パーセントひらがなかカタカナです。やはりね、中国人のコミュニティはニューヨークにもめちゃくちゃあるから、漢字を書いたとしたら「じゃあ日本のアイデンティティってなんやねん」ってなるじゃないですか。なので、日本特有のひらがなとカタカナだけで授業をしています。
あとは、最近だとブルックリンにある日本酒の酒蔵「KATO SAKE WORKS」とコラボレーションして、月に1回、お酒のラベルを自作する教室をしています。例えば、お母さんの名前を書いて母の日にプレゼントしようとか。誰かのために自分で作る喜びと、誰かにプレゼントする喜びをミックスし、さらに日本文化を楽しんでもらおうということをしています。もうなんか「文化を広げていきたい人」みたいになっています。でもやっぱり現地ではそれが一番求められてるんだと思います。
――日本で活動していた時と作風に変化はありましたか?
太山
作風というより、笑文字を見て、文字を学ぶ楽しさや、気持ちを高めていただけるようなデザインを心がけています。例えば「笑う」という笑文字は、犬2匹を散歩させて楽しそうな絵で「笑う」という文字を表現しています。犬を2匹飼っていて楽しそうに散歩している自分自身と照らし合わせてくれたら、この漢字を一発で覚えるじゃないですか。そういう考えを深く掘り下げているイメージです。
――今回の展示はなぜ生まれ故郷で開催しようと?
太山
早いもので渡航して10年経つので、それを記念した展示会をするなら地元でという思いはありました。展示会場である太地町立石垣記念館は、地元の画家・石垣栄太郎さんの持ちものなんですが、元々は個人的な美術館だったんですね。その石垣栄太郎さんは過去にニューヨークで活動された方でした。だから、もうちょっと勝手にご縁があると思い、こちらで開催させていただきました。
――展示作品は今回のために制作されたものですか?
太山
「作品とは生き物だ」と昔から思っています。今回10年ぶりに故郷で展示会することになりましたが、過去の作品は自分の中で賞味期限が過ぎているんですよ。だから展示会を開催すると決まれば、そのための作品を制作します。この活動を続けて25年経ちますが、ずっとそうでした。「最近の作品しかないんですか」ってよく言われるんですが、違う違う、最近の作品しか置かないんです。
――そもそもなぜ移住したんですか?
太山
私の場合、書道は100パーセント独学です。ずっと書道家という肩書きで活動しましたが、日本では限界があったんですよね。やはり書道の流れを通ってきてないから、これ以上自分の活動はもう頭打ちやなと思ったんで、じゃあ海外に出てみようというのがきっかけです。
2013年に開催した作品展が、私にとって初めてのニューヨークでした。これは仕事でお付き合いのあった社長とのご縁で現地のギャラリーを紹介してもらって実現したのですが、その後、仕事が次々と入るようになったので、これはもう移住する流れだろうと思って住みました。
――そういう流れだったんですね。
太山
そうなんですよ。でも移住までは考えてなかったんですが、2回ポンポンって仕事が入ったから、もういい機会やし、いつかは海外での活動を考えてたから、日本から離れよう、ということでした。
――ニューヨークでの生活はどうですか?
太山
やっぱり物価が高いっすよね。だからその分、お金稼がないかんし。でもアーティストとして良いか悪いかわかりませんが、お金稼がないと生きていけないから、より一層、営業力がついたみたいな。物価高があることにより、より一層、作品だけを作ってるだけじゃダメ、みたいな、生き残ってこそなんぼやから、頑張るぞっていうのはありますね。
――いや、それにしても元気そうでよかったです。
太山
ありがとうございます。5年前に心筋梗塞やってね。アメリカですし、医療費がもうめっちゃ高額で。
――しかも昔より健康体(笑)
太山
ええ、もう元気しかないです。本当に。はい。
――最後に読者へのメッセージをお願いします。ちなみにこの記事の公開は展示会後です。
太山
わかりました。
まずは展示会にお越しいただいた皆さん、ありがとうございました。
和歌山県内では10年ぶりの展示ということで、国内のあらゆるところから来ていただけるというお話なのでとてもうれしいです。私のことを思い出して来ていただいて本当にありがとうございます、ですね。
そして、このウェブ記事を見ていただいた方で「ああ、こいつおったおった」とか、初めて私を知る方だったとしても「こういう人が和歌山県出身でいてるんやな」「ニューヨークで活動している書道家ってなんやねん」「何をしてるねん」と興味を持ってもらって、SNSをフォローしてもらったり、ブログを読んでもらえれば。
今、世の中では仕事の選択肢の幅が広がっていますが、私の活動を見てもらって、誰かが何かにチャレンジしたい時のきっかけになってくれるとうれしいです。
information
田中太山さんの詳しい活動はインスタグラムやブログで随時発信されているので、ぜひご覧ください!
Web
https://www.taisanofficial.com
ブログ
https://ameblo.jp/shogakaboz/
Instagram
@taisan.nyc