アガサススタッフのほんの出来心

アガサススタッフの日常をお届けします。

新たに始まったコーナー「ゲストヴォイス!」にて取材した土山和子さん。
取材した(み)からすれば「あの」ラジオ局「FM802」で10年も人気番組を担当したなんて、まるで雲の上の人!
…なのに、彼女はそんな緊張を一瞬で取り去ってくれるほどの気さくな女性なのだった。
スペースの都合上、誌面では伝えきれなかった彼女の情熱トークを伝えたい!…と、WEBに進出。本誌は土山さんの言葉でお伝えしたが、こちらでは記者(み)目線のプラスアルファバージョンでお届けします。ぜひご一読を。


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きっと、彼女の人生はビートルズとの出会いから大きく動いたに違いない。
中2の時に兄が録音していたFMラジオを聞いて、いいなと思ったのが最初。その後、クラス替えで同じビートルズ好きの友人ができたことで、熱は一層高まった。
ちょうどその頃ビートルズの再結成ブーム、和歌山でもビートルズ映画3本立てが上映された。彼らの全盛期を描いた「ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!」と「HELP! 4人はアイドル」というドラマ仕立ての映画、そして解散直前のドキュメンタリー「レット・イット・ビー」。モノクロながらビビッドに迫ってくるビートルズの姿にますます魅了された。
ビートルズがきっかけで英語に興味を持った土山さん。買うレコードもポールマッカートニーはもちろん、バディ・ホリー、チャック・ベリー、ボブ・ディラン…とビートルズに影響を受けたアーティストらの洋楽が中心になっていった。

(土山さんの仕事場の一角にはビートルズコーナーが!)

誌面の冒頭でも載せたように「元々ラジオを聴くのが好きな子ではあったけれど、ラジオ業界に入るつもりなんて全くなかったんです」という土山さん。その通り、学生時代に考えていたのは英語を生かした「貿易事務」などの仕事だった。だが、当時、4大卒の女子学生は超が付く就職氷河期。結局は英語に無関係な仕事にも当たらざるをえない状況だったという。
そんな折、ふと目にした新聞の和歌山版でNHK和歌山放送局のDJ募集。まさか受かるとは思わず「いっか、履歴書余ってるし」と何気なく応募した。
午前中のラジオオーディションで、並べられたのは3枚のディスク。DJになった気持ちで1枚を紹介してくださいというテーマだった。歌謡曲、演歌、そしてジョン・レノンの「LOVE」。当然、選んだのは最後の1枚だ。
そして、最初に「来て下さい」と電話があったのはNHKだった。“最初に”とはどういうことかと言うと、“次に”があったのだ。実は、オーディションのすぐ後、銀行の貿易事務の契約社員募集を受験。そしてNHKの電話の翌日、そこからも合格の知らせが届いたのだという。タッチの差だが、既に返事をしていたことで、道は定められていた。「そこで、色んなものの辻褄が合って、それまでのことが全て合致したというか。不思議な縁でした」と土山さんは振り返る。
FM802のオーディションにいたるまでも色々な“不思議な縁”を体験したという。
大阪であったベン・E・キングのコンサートでレコード会社の友人から紹介されたのは、音楽評論家の上柴とおるさん。その時は名刺を交換しただけだったが、その後年賀状のやり取りを通じ、何故かカセットテープを送ることになる。そこで「大阪で開局する802のオーディションを受けてみませんか」という誘いを受けたのだが、実は上柴さんに聞くまで、802とが開局することすら知らなかった。紹介を受けて締め切り寸前のDJ募集に応募。この時のことを「まあ言ったら吸い寄せられるようにオーディションを受けた」と言い表している。
こうして802の開局DJのメンバー入りを果たし、同時に音楽に喋りを乗せることの難しさを知る。「日本語ってどちらかと言うとリズムで乗れない言葉なんですよね。どう動きのある言葉でまとめるかに苦労した」。
そんな時、UKの音楽番組からイギリスのDJの喋り方をヒントに、リズムに乗せやすい体言止めを応用することで日本語を「ハキハキ」させることを思いつく。また、元来低めの声だったため、ディレクターに「ゆっくり喋ると暗く聴こえてしまう。土山さんの声は聞き取りやすいから早口で喋っても大丈夫」と言われたことも大きく影響し、やや早口でテンポよく喋る現在の“土山スタイル”のベースができていった。

そんな土山さんは802で10年間DJを務めた後、広島FMで喋ることになったが、1年余りで和歌山への帰省を余儀なくされる。父親の病気のためだった。休職も勧められたが、祖母が亡くなった時に仕事で立ち会えなかったことから、中途半端に気持ちを広島に残していくことを選べなかった。結局「私は仕事を優先してしまう性格なんで」と涙ながらに話し、番組を降ろしてもらった。
それから約4年、ラジオから離れた生活をするうちに、自分のベースを失ったような言いようもない寂しさを感じたという。「一旦やめてこんなに喪失感があるものかと思った。でも自分に何ができるかを考える時期だった」と振り返る。
ラジオ業界に入るつもりはなかった。
でも、気づいたらその世界が自分にとってかけがえのない存在になっていた。
ラジオは聞き続けていたし、どんな曲が流行っているかが気になった。ずっとCDも買い続けていた。「電波の仕事が、音楽が好き」という思いはいつしか強くなっていた。
そんなある日、和歌山放送ラジオの人にバッタリ出会い、再びマイクの前に戻ることに。「人との出会いがどんなに大切かが分かった」瞬間だった。いまは地域情報なども入った、802時代とはひと味違った喋りを楽しんでいる。
「去年のクリスマスの特番として、私が全部プロデュースした番組を作ったんです」。それは、バーを舞台にした音楽番組。「イメージ的にはジェットストリームとスネークマンショーを一緒にした感じ」と言うように、大人の洒落が効いた小粋なトークとミニドラマ、そして音楽が散りばめられた番組に仕上がった。
BGM、曲選びから効果音まで指定し、トーク相手との合間の小芝居を考える。高いところから見た「俯瞰の眼」で見ながら、細かい部分を見る、この両方を同時進行することで、新たな世界が広がった。「作家さんに近いくらい“言葉を選ぶ”ということを初めてやった、ものすごっく大変だったけど、けっこう楽しかったんです。誰かをプロデュースしながら自分も喋る。こんなにいろんな番組ができるとは思ってなかった。今後も機会があればまた何かやりたいですね」と晴れやかに笑って話してくれた。

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土山さんいわく、ラジオ=イマジネーションを刺激する箱。「そこにあたかも何かがあるかのような音があり音楽があり、それがどのように人に刺激を与えるのか。必死になって歩いてきて見た景色を、どれだけ広がりのある世界に見せられるかがラジオの醍醐味」なのだという。ご覧のように、とは決して言えない。でもどれだけ映像として見せられるかが勝負だ。
そして、そんなイマジネーションを引き出させる=心の琴線に触れることのできる「音楽」がやっぱり好きだという結論に辿り着く。
DJは、ディスクジョッキーと言うように、馬に乗りこなすジョッキーのようにディスク=盤に乗って喋る職。いかに音楽の素晴らしさを届けるか、邪魔にならず「そうそう、それが聞きたかったんだよ」という共感を得る。そして、そんな音楽への愛情をどこまで届けられるか。「音楽がメイン、私はスパイスだと思っています。メインをいかにおいしく食べていただけるか、気持ちよく届けられるかが一番大事なんです」。そう言いきった彼女の音楽愛は、毎週土曜の昼下がりに電波に乗って聴こえてくる。時に甘く、時にピリリと、そして時には酸味を効かせて。どんな味付けも土山流に違いなく、音楽を一層おいしく引き立て続けている。

One Comment

  1. 土山和子
    Nighttime on 3 月 18th, 2010

    こんなに詳細に取材した内容を綴られているのにびっくり!!
    ありがとうございます♪(み)さん、仕事場で取材を受けたのにも
    関わらず、フラッシュに反応し、目をつぶり過ぎた私、土山和子を
    こんなにも素敵に文章でプロデュースして頂き、光栄です。
    ありがとうございます。自分の今までやってきたことってその時
    その時の積み重ねで、中々振り返ってじっくり考えるという時間を
    作り出せない事多いのですが、今回この取材で自分の過去の仕事を
    じっくりと反芻する時間を頂きました。
    ありがとうございます♪

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